自販機とコーラ

個人的な日記。

2018.10.15

こう暇だとつい色々思い出してしまう。今日作った「過保護」という曲は祖母のことを歌ったものだ。小学1年生から中1くらいまで帰りの遅い親の代わりに祖母が面倒を見てくれていた。習い事の送り迎えも、おやつも買って来てくれてたのも、好きなカードダスを買ってくれたのも祖母だった。祖母に怒られたことはない、いくらしょうもない駄々こねてもしょうがないわねと言って許してくれたし。持って帰って来た美術の作品や書道の宿題、バスケの賞、全部褒めてくれた。中2になると祖母が体を壊し、家に遊びに来れなくなった。それから会う頻度は減り、思春期真っ只中の僕は前みたいにうまく接することができなくなっていった。どんどん弱っていく祖母から目を背け、祖母が教えてくれたバイオリンもついにはやめてしまった。家族で年に数回鰻を食べた。少食の祖母は「みんなで食べると美味しい」と言ってニコッと笑いながら普段より多めに食べていた。しばらくたって気づいたら祖母は入院してて、幻覚を見ているのか、知らない人の名前を呼んでた。それでもたまに僕や兄の名前を呼ぶらしく、しかも僕らの作品ばかり病室に並べていた。そして春のバスケ部の合宿に行ってる最中、祖母は息を引き取った。祖母がいつ死んでもおかしくないと聞いて、3月はあまり予定を入れなかったのに結局最後は立ち会えなかった。今でも祖母の命日は必ず家族みんなで鰻を食べる。祖母の笑い声が聞こえる気がする。